自慰を村上春樹風に
オナニーの目的は性的欲求を満たすためにあるのではなく、自己変革にある。
エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。
六月にデートした女の子とはまるで話があわなかった。
僕が熱心に自慰行為について話している時、彼女はタンガ・ロアのことを考えていた。
「ね、男の人たちがみんなマスターベーションしているわけ? 手でシコシコッって?」
とその女の子は桜が散り緑の葉が色づきはじめた街路樹を見上げながら言った。
「たぶんね」
「男の人って自分にとって最も高揚するシチュエーションを考えながらそれやるわけ?」
「まあそうだろうね」
と僕は言った。
「株式相場とか動詞の活用とかスエズ運河のことを考えながらマスターベーションする男はまあいないだろうね。まあだいたいは君の言ったことで合っているんじゃないかな」
「スエズ運河?」
「例えば、ね」
「オナニーは少しずつ形を定めて、その住んでいる世界の形を定めてたんだよ。僕が年をとるにつれてね。何故だろう? 僕にもわからない。でもたぶんそうする必要があったからかな。」
女の子は僕の目を見ながら話に傾聴してくれている。
「あと10年も経って、この青空や僕のかけたレコードや、
そして僕のことを覚えていてくれたら、僕のこれから言うことも思い出してくれ。」
僕は・オナニーが・好きだ
困ったことに次の日にはその女の子と連絡がつかなくなっていた。